死ねない時代の哲学 村上陽一郎

あらすじ

 細菌やウイルスに突然、命を奪われる時代が終わり、有数の長寿社会が実現したいま、歴史上はじめて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるを得なくなった。死生観、安楽死尊厳死、終末期医療…科学哲学の泰斗が示した、死を準備するために考えておくべきこと。

 

 医療の発達により人がなかなか死ねなくなっている中で、我々は死についてどんな態度を取るべきか、考えるべき点が列挙されている。

 例えば安楽死。果たして人間は自分の死のタイミングを自分で決定する権利があるのかどうか。仮に決定できるとして、その安楽死を見守る家族や安楽死を実施する医者の苦しみはどうなるのかなど、今まで考えたことのない視点から問題提起されており、考えさせられる内容だった。私個人としては安楽死には(積極的、消極的問わず)賛成である。死によってしか解放されない苦しみは存在すると考えるからだ。この本の中で、患者の考えは変わりうるから安楽死は容認するべきではないという主張が取り上げられていたが、これについては考え方が変わればその人の痛みの感じ方や未来への感じ方、ひいては人格が変わると考えられ、そうなれば自らの安楽死について下した決断が覆るという状況は十分理解できる。ただ、それが安楽死を全面的に禁止する理由にはならないとも考える。また、医師への負担という考え方も、医師には診療科の選択の自由があり、安楽死に関わらないような診療科に進んだり、そのような職場を見つけたりすれば良いだろうと考えるので、やはり強い安楽死容認化への反対意見とはなり得ないと考える。

 

 

面白かったところ

  • 日本は2007年に高齢者率(65歳以上の人口の総人口比)が全体の21%になり、「超高齢社会」になった。2025年には30%、2060年には40%になると言われている。年金の仕組みはこのような急速な長寿化に合わせて制度設計されているわけではないので、「公的年金以外に老後資金として2000万円必要」というような話になる。

 

  • 日本人は統計的にはがんか、脳卒中か、心臓発作でしか死ねない。後ろ二つは急に亡くなるため死に備えての準備はできない。

 

  • 加持祈祷を近代的な医療を妨害するものとして明治政府が禁止したのは1874年のこと。

 

  • パスツールやコッホらによって病気はそれを引き起こす原因となる病原体が存在するということが発見された。1928年に発見されたペニシリンは、病気の原因となる細菌をピンポイントで攻撃でき、現代医療の基本(病原体を排除する)を確立した。このような考え方では対処できないのが生活習慣病である。その発症の経緯も、医師による介入の仕方も、感染症の場合とは異なる。

 

  • 日本における交通事故の死者数は3000人代。一方、自殺による死者は2万人にのぼる。

 

  • 積極的安楽死の可否については世界中で賛否両論入り混じっている。この問題を社会に投げかけた例としては、カレン事件(植物状態になった娘の人工呼吸器を外そうと父親が裁判を起こし、最終的に人工呼吸器は外された)、「死の医師」キヴォキアンによる安楽死事件(安楽死装置を作り、死を願う患者に提供)、オランダのポストマ事件(女性医師ボストマが母親を母親自身の依頼により嘱託殺人)などがある。

 

  • かつて医師と患者の関係は現在より緊密であり、かつ患者に関わる医療従事者の数も少なかった。その時には消極的安楽死(生命維持に必要な装置を外すなど)は行われていた。現在安楽死の是非などが大きく問題になるのは、患者と医師の関係性が希薄になったことや、病院では多くの医療従事者が一人の患者に携わるようになったこともその原因であろう。

 

  • 死は関係の中でしか成立しないのだから、それを個人が所有することはできず、自分で自分に死をもたらすことも容認されるべきではないという考え方もある。一方で、自分の死は自分で決定することができるという考え方もある。

 

  • 人が「なかなか死ねなくなった」のは、医療の発達や病院側の経済的な理由や医療者側が刑事責任を問われることを恐れていることなどによる。一つ目は薬屋生命維持装置など言わずもがな、二つ目は例えば高度な医療を提供して患者を生きながらえさせること自体がかなりお金になるという現実がある。三つ目に関しては、安楽死に関与した医者が処罰されるニュースなどをみて、人の死期を早めるような決定に及び腰になるということである。

 

  • 海外での臓器移植や安楽死などは、その国の限られた医療資源を外国人が金で奪い取っていると言えなくもない。

 

  • NIPT(新型出生前診断)では母体血を用いて胎児の染色体異常を検知できる。これで胎児のダウン症や18番トリソミーなどの重い染色体以上が見つかった場合、妊婦のほとんどはそのまま中絶を選択するという現実がある。医師としてはNIPTの存在を知らせないことは困難で、知らせたら知らせたでそれが医師の勧告として受け取られてしまうという。

 

 

 

 

 

 

街並みの美学 芦原義信

あらすじ

 都市と建築の中間に位置する「街並み」は、そこに住み着いた人々が歴史の中でつくりあげ、風土と人間の関わりの中で成立した。世界各地の都市の街並みを建築家の目で仔細に見つめ、都市構造や建築・空間について理論的に考察する。人間のための美しい街並みを作る創造的建築手法を具体的に提案した街づくりの基本文献。

 

 筆者が考えるあるべき街並みについて、外国の建築との比較を行いながら、いくつかの提案を行なっている。そもそも日本では家=うちで、その内部は工夫を凝らせど、外側まで美化しようという意識が希薄だというのはなるほどと思わされた。確かにヨーロッパの街並みは美しく観ていて楽しい一方、日本の建物の外面を見て感動することとがないのはこういうところに理由があるのかと思った。

 全体通して写真が豊富!チステルニーノ村が美しい!ぜひ一度訪れたいものです。

 

面白かったポイント

  • 建築の本質は、境界を作って空間に「内部」と「外部」の別を設ける技術であり、内部に平穏で庇護性のある空間を作り上げる。

 

  • 日本では、家の内外が厳密に区別され、内側は私的な空間であり、内側に入るときに靴を脱ぐ。一方、西欧では家の中でも靴を履き、家も公的空間の一部であると考える。このため、日本では家の内側のみ整然とされる一方で外部の空間を充実させようという発想は希薄であったが、西欧では建築の外部に美しい模様の舗装が古くから発達し、都市空間が整備された。また、西欧人にとっては自分の部屋は内であるが、他はたとえ食卓といえども外であり、その意味では食卓もレストランも何ら変わらない。その外において社交が発達した。

 

  • 日本の夏は高温多湿であり、それを凌ぐためには風通しの良い木造の軸組構造が建築の主流であった。柱と柱の間は障子で仕切られるのみで開口部として作用し、また床下に空間をとることで通気性が良かった。このような建築は熱容量が小さく、冬はとことん冷えるため、部屋全体を温めるというのは無意味であり、炬燵や火鉢で直接温めたり、暖かいものを食べて厚着して内側から温めるという戦略がとられた。一方、西洋では夏期の乾燥のために石造あるいはレンガ造の組構造の建築が発達した。これらは重いため高くすればするほど厚い柱が必要となった。極端な例としてピラミッドは荷重に耐えるために下ほど広くなっている。また開口部重さに耐えられなくなるため少なくなる宿命にあった。

 

  • 日本で木造建築が発達した理由として、風通しが良いこと、耐震性が高いこと、降雨量の多さから傾斜屋根が必要だったことがある。

 

  • 乾燥地帯では井戸の確保が必須であり、かつ他民族に奪われてはならなかった。そこで強固な城砦を築くという発想につながった。そして城砦の内側では石造の家々が建てられ、内部空間として秩序ある建築がなされた。一方日本ではこの意識は希薄であり、城砦のように我々を囲むものとしては海があったのではないかと筆者は推測している。

 

  • イギリス人は人々のあまり出会わない休息の場としての公園「パーク」を築いた。一方、イタリア人は人々の出会いの場としての公園「ピアッツァ」を築いた。日本では街路空間、オープンスペースを芸術的に作ろうという意図は生じなかった。また、街路について言えば、西欧では代々都市や街路は短期間に建設されるものであったのに対し、日本では村落や畦道の延長として都市や街路は自然発生的に生じたもので築くという意思が弱かった。

 

  • 西欧では庭は外的秩序の一部であり、他者の目に触れる。美しい庭を作るのはその意識の現れである。

 

  • イタリアの街の地図をよく見ると、建物の内部の空間が占める部分と街路などの建物外部の空間が占める部分を白黒反転させてみても不都合な感じはしない。街路や広場は建物の外壁の足元まで舗装されていて、建物との間に曖昧な空間がないからである。このことは両者の空間の質的類似性を示している。実際、床部分は舗装されていて、それらの境に塀があり、これらは内外共通である。違いは屋根の有無くらいである。

 

  • イタリアのような広場の成立条件は、境界線がはっきりしていて、かつそれが塀により築かれたものではなく建物の外壁により築かれたものであることがある。境界線がないと公園のようなものになってしまう。また建物の外壁には窓や出入口があり、相互陥入しているべきである。さもないと監獄の中庭のようになってしまう。このような広場で催し物があると、広場を囲う建物の窓から住民が顔を突き出してそれを見物する。この瞬間、広場はアリーナの様相を呈し、広場の外壁はアリーナの内壁となる。

 

  • 四辺の隅角が建物の外壁によって取り囲まれた入り隅みの空間であることが、質の高い閉鎖的な外部空間には必要である。これを意図的に作り出す方法として、サンクンガーデンという、建物の一部を道路より掘り下げて庭を作る方策が取られた。サンクンガーデンは同時に、上部から全体を見渡すことができるという特徴持つ。ニューヨークのロックフェラーセンターのビルなどに取り入れられている。

 

  • 近くにあること、すぐに手が届くことを意味するインメディアシーという言葉がある。都市の真ん中にある小さい公園や、トレヴィの泉なんかはこのインメディアシーがあると言われる。

 

  • 日本では袖看板が多く、街の外観を損ねている。それらは一時的なものに過ぎず、構造化されていないものが多い。この袖看板によって視界が遮蔽される割合は、建物を正面から見るほど小さい。だが、日本では建物を正面から見ることができるほどの道幅が確保されていないことが多く、建物の表面のインパクトは薄くならざるを得ない。

 

  • 人間の直立時の視角は俯角10度ほどのところにある。この角度で見られる景色として、函館港から函館湾を見下ろした時の景観がある。

 

  • 日本で彫刻家が不遇である理由の一つとして、外的空間の美化意識の低さが挙げられる。

 

  • 古くから建築物は、昼間に光のもと見るように設計されている。よってこれらは夜見てもただの石の塊であったりする場合が多い。夜景としての建築が本格的に考えられるようになったのは、ガラスの登場により建築の内部の光を透過光としてみられるようになってからである。

 

  • 南イタリアのチステルニーノ村は外壁が石灰で真っ白く塗られているな統一的な秩序があり、非常に美しい。同様な統一感ある白い家々はエーゲ海に浮かぶギリシアの島々などでも鑑賞することができる。特に圧巻なのはサントリーニ島のティラの街である。

 

  • ル・コルビュジェは図面の美しさを重視した一方でその図面が現実にどんな建物となるかにはあまり関心がなかったようである。実際、チャンディガールの計画都市設計の際も、自身はパリをあまり離れず、現場を目にする機会はわずかに年2回ほどであった。ピロティのような革新的建築もあった一方で、機能的な建築というよりは彫刻的、芸術的な建築もあったということである。

 

 

 

 

 

 

 

生命の政治学 広井良典

あらすじ

 従来、別個に論じられてきた、福祉国家社会保障環境政策エコロジー生命科学生命倫理上の諸課題を、その原理に遡りつつ統合的に考察することで、生命/生活を貫く新しい人間理解と社会構想を提示する。グローバルな視座と、サイエンスとケアを媒介する臨床的次元も織り込み、「定常型社会」の構想を確かに進める。

 

 資源の限界が明らかとなった世界で、成長を志向し続けること社会のあり方に疑問を呈し、それに代わるものとして「定常型社会」が提示されている。そこでは、物質的に充足した社会では個人がその単位となるが、しかし一方で脆弱な一面を持つその個人を補助する政府のあり方が理想とされる。社会変容に合わせて変化する個人の生き方にまで言及されていて非常に面白かった。

 

 面白かったところ

  • アメリカの医療分野への基礎研究支援

 第二次大戦中に医学研究上の進歩(ペニシリン臨床応用など)が戦争勝利にもたらした影響が極めて多いかったことから、アメリカでは戦後医療分野への政府による資金供給が年々増加していた。一方で、国民皆保険の実現には至らず、医学研究には巨大な公的支援、医療保障についてはミニマムな公的関与という戦後アメリカの医療政策の基本方針が確立された。

 つまり、最高の医療の開発に力を入れいる一方で、その結果を享受できるか否かは個人の富裕度に依存する体制が出来上がった。

 

  • 冷戦時代にアメリカは膨大な軍事費を支出、日本やヨーロッパはその傘のもと独自の政策を展開することができた

 日本は建設国家とも呼ぶことができ、ヨーロッパは福祉国家的なあり方を追求した。

 

 右は生命科学研究を人間性の冒涜であるとし、左は人間の平等を重視するあまり、ひいては優生学的思想につながりうる生命科学研究に懐疑的な立場をとる。

 

  • リベラルの捉え方の違い

 保守主義自由主義社会民主主義の順に新しく、左寄りの思想であり、大きな政府志向。アメリカでは保守ー自由の対立が、ヨーロッパでは自由ー社会民主の対立が生じているため、米欧でリベラルの捉え方は違う。

 

 保守主義は伝統的な秩序や価値を重視。家族関係、人間と自然との関係とか。これらに新しい技術が介入するのに懐疑的。

 自由主義は個人の自由を価値判断の規定におく。基本なにやっても自由。

 社会民主主義は、行き過ぎた自由主義の結果生じる格差を公的部門の介入で是正しようとする。平等重視。産業化に伴う行き過ぎた自然、生命という価値の侵食に対し生成された環境主義/エコロジズムと近年融合したり。

 保守ー自由の対立は産業化に伴う自由な経済活動の結果生じ、これが原因で生じた格差是正のために自由ー社会民主の対立が生じた。

 

 冷戦期に市場経済アメリカ)と共産主義ソ連)の対立の間で修正資本主義として発達した福祉国家的経済システムは、冷戦中は資本主義グループに一括して括られたため、その差異が注目されなかった。

 

 接近の要因として筆者は、高齢化と低成長という状況の類似、特にヨーロッパでのEUに見られるようなグローバル化の進展、制度移転をあげている。現金給付の割合が低下し、社会サービス(かつては家族が担っていた役割)の割合が上昇するという傾向が見て取れる。

 

 筆者はこの原因を核家族(女性が流動的な労働力として存在)と会社という形態、公共事業に求めている。公共事業は失業保険かつ雇用拡大を担っていた。がこれが原因で逆に社会保障は拡充されなかった。公共事業は、労働生産性向上により生じた失業者を需要拡大によりカバーし、経済成長を続け、労働生産性向上をもたらし…というループを前提としており、成長が維持できない社会においてはこれが当初期待されていた役割を果たすのは困難である。

 成長を前提としない解決策としては、失業を自然な準備期間として認識すること、労働時間を減らすこと、ジェンダー間の時間配分など。

 

 この対策として、社会保障に使う目的で税金を導入し、企業への負担を減らすことがある(環境税とか)。これは、人に税をかけるという考え方から脱却して資源に税をかけるという思想転換をベースとする。

 

 宗教改革により教会等庇護を失った地域では国家が教会に代わるものとして早期から社会保障的なことを担うようになった。その影響が残っていると考えられる。

 

  • 人間を苦しめる疾患が感染症から生活習慣病などの慢性疾患に移行するにつれ、疾患の原因となる物質を除去すればいいという生物医学的モデルから、患者への心理的、社会的サポート等も含めたケアを提供する医療へと需要が変化している。アメリカなどでは、このケアの提供を評価する際の尺度として、時間を用いている。

 

  • 近年、自然との関わり合いを通じたケアの必要性が唱えられている。この根拠として、本来人間は自然を志向するものであるというバイオフィリア仮説、「病いは気から」を科学的に証明している精神免疫学からの知見、約3万年前から人間の遺伝子はほとんど変化していないのにもかかわらず急激に変化する環境に適応しきれずに疾患が生じている「病のエコロジー」という考え方がある。

 

  • 日本人の死生観は3層からなる。この世界の至る所に死者の魂が存在しているとする原・神道的な層、現世とは隔絶された場所に死後の世界を想定する仏教的な層、死は無であるとする唯物論的な層である。前二つは明らかに矛盾しているにも関わらず、日本ではそれが深く問われることなく並存してきた、と柳田國男は指摘している。唯物論的な考え方は戦後高度経済成長期に急速に広まった。この理由として筆者は、戦前の国家神道への反省から死や宗教がタブー視されたこと、経済成長の中で生の拡大が重視されたこと、欧米化の中で伝統が棄却されたこと、科学的であることが規範とされたことを挙げている。

 

  • 近代科学の中心となるコンセプトは、物質→情報→生命という形で展開してきた。20世きが情報の時代で、生命は物理、化学的に捉えられ、解明されてきた。だがこの過程は、結局「生命とは何か」という質問には答えられていない。以上のような点で生命を語っても結局生命と非生命の違いは複雑さに帰着されうるからだ。今後、宗教と科学の狭間で、生命とは何か問われることとになるだろう。

 

  • 日本では戦後社会民主主義的考え方が受け入れられなかった。社会民主主義とは、自由を求める市民の間拡大した格差を、旧来の伝統的制度への立ち返りではなく、国家の積極的な介入によって是正していこうとする態度ある。受け入れられなかった理由として、戦前の超国家主義への反省から、左派が国家に権力を持たせて高い税をとらせ分配させるあり方に否定的であったことがある。

 

  • 生命倫理の問題は政治哲学の問題とは独立ではない。例えば胚細胞研究において、自由主義下では研究も個人の自由で行われるべきとされるが、保守主義社会民主主義はそれぞれの理由からこれに懐疑的なスタンスをとる。この考え方は、ともすれば末端の技術的問題として処理されがちな技術開発や研究の是非についてより大局的な視点を持つべきことを促すものであり、個々人が確かな判断軸を持った上で決定するべきことを主張する。

 

  • 遺伝子技術と相続は、共に「個人は生まれた時点で共通のスタートラインに立てるか」という論点で密接に関係している。自由主義的考え方では、個人は全く真空に生まれたち、その後の機会は平等に与えられるべきであるとするが、しかし個人は家族的な存在であるため上記のような背景をそれぞれ持つことになる。これを何らかの方法により是正するためには、福祉国家など公的機関が個人に介入するべきというパラドキシカルな事態が発生する。

 

  • 現代の科学は線形的ではない。原因ー結果のモデルで説明できないことが増えてきている。その結果、専門家が必ずしも一般の人より多くのことを知っていて多くの現象を予測できるという前提は崩れ去り、また現象を予測しコントロールしていこうという科学の方向性も維持できなくなっている。

 

  • 筆者が思い描く定常型社会は、高齢化に伴う人口、ひいては需要の定常化、及び資源の限界が原因となって起こるとされる。また、「時間の消費」で特徴付けられる。かつては、物質を消費するだけであった我々は次第に情報を消費するようになり(例えば、服を着られるかどうかの観点で選ぶのではなく、その服の模様やロゴ等で選ぶ)、今度は時間を消費するようになるというのだ(余暇や学習)。

 

  • 環境主義エコロジズムは、産業化が高度に進んだ結果顕在化した自然や環境破壊に歯止めをかけるべきとして登場した思想で、伝統的な価値観へ回帰しようとするという点では、保守主義に類似している。環境主義エコロジズム保守主義を分けるのは、前者は個人の自立や尊厳に価値を置くことが多い一方後者は伝統的な共同体に価値を置くという点や、出自が異なるという点である。

 

  • 物質的豊かさが実現され、経済的理由からの家族などの共同体的結びつきが不要になると、社会は自ずと「個人」が単位のものとなってくる。ところが「個人」は脆弱な面を持ち合わせており、共同体的な補助を必要とする。そこをカバーするものとして社会民主主義的な国家が求められる。今後実現するであろう定常型社会では、社会民主主義であるだけでは不十分で、環境主義/エコロジズムと結びついたものであること、単純な大きな政府型であるのではなく民間部門を重要な構成要素として位置付けたものであることが求められる。

 

  • 定常型社会においては、高齢化や時間を消費するという発想から、これまで人生の前半に関わるとされていた教育は「生涯学習」の呼称が示すように人生後半にも重要な意味を持つようになり、人生の後半に関わるとされていた社会保障は結婚、就職、失業などの面で人生前半に関わるようになるだろう。また教育、科学、研究は専門家により独占されている状態から離脱し、個人が娯楽として消費するような性格のものへと変化する可能性がある。物質的欲望が基本的に満たされている社会においては知的な探究こそが人間にとっての最大の悦びになると考えられるからだ。ただしここでの教育や研究の目的が国際競争力の醸成となると再び社会は資源の消費や成長への依存へと歩み始めることになり、定常型社会の理念に矛盾することになることに留意する必要がある。

 

 

 

 

 

 

初めまして

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 自分が読んだ本の内容について紹介していこうと思っています。自分が面白いと思ったことについてもコメントしていくつもりです。よろしくお願いします。