街並みの美学 芦原義信

あらすじ

 都市と建築の中間に位置する「街並み」は、そこに住み着いた人々が歴史の中でつくりあげ、風土と人間の関わりの中で成立した。世界各地の都市の街並みを建築家の目で仔細に見つめ、都市構造や建築・空間について理論的に考察する。人間のための美しい街並みを作る創造的建築手法を具体的に提案した街づくりの基本文献。

 

 筆者が考えるあるべき街並みについて、外国の建築との比較を行いながら、いくつかの提案を行なっている。そもそも日本では家=うちで、その内部は工夫を凝らせど、外側まで美化しようという意識が希薄だというのはなるほどと思わされた。確かにヨーロッパの街並みは美しく観ていて楽しい一方、日本の建物の外面を見て感動することとがないのはこういうところに理由があるのかと思った。

 全体通して写真が豊富!チステルニーノ村が美しい!ぜひ一度訪れたいものです。

 

面白かったポイント

  • 建築の本質は、境界を作って空間に「内部」と「外部」の別を設ける技術であり、内部に平穏で庇護性のある空間を作り上げる。

 

  • 日本では、家の内外が厳密に区別され、内側は私的な空間であり、内側に入るときに靴を脱ぐ。一方、西欧では家の中でも靴を履き、家も公的空間の一部であると考える。このため、日本では家の内側のみ整然とされる一方で外部の空間を充実させようという発想は希薄であったが、西欧では建築の外部に美しい模様の舗装が古くから発達し、都市空間が整備された。また、西欧人にとっては自分の部屋は内であるが、他はたとえ食卓といえども外であり、その意味では食卓もレストランも何ら変わらない。その外において社交が発達した。

 

  • 日本の夏は高温多湿であり、それを凌ぐためには風通しの良い木造の軸組構造が建築の主流であった。柱と柱の間は障子で仕切られるのみで開口部として作用し、また床下に空間をとることで通気性が良かった。このような建築は熱容量が小さく、冬はとことん冷えるため、部屋全体を温めるというのは無意味であり、炬燵や火鉢で直接温めたり、暖かいものを食べて厚着して内側から温めるという戦略がとられた。一方、西洋では夏期の乾燥のために石造あるいはレンガ造の組構造の建築が発達した。これらは重いため高くすればするほど厚い柱が必要となった。極端な例としてピラミッドは荷重に耐えるために下ほど広くなっている。また開口部重さに耐えられなくなるため少なくなる宿命にあった。

 

  • 日本で木造建築が発達した理由として、風通しが良いこと、耐震性が高いこと、降雨量の多さから傾斜屋根が必要だったことがある。

 

  • 乾燥地帯では井戸の確保が必須であり、かつ他民族に奪われてはならなかった。そこで強固な城砦を築くという発想につながった。そして城砦の内側では石造の家々が建てられ、内部空間として秩序ある建築がなされた。一方日本ではこの意識は希薄であり、城砦のように我々を囲むものとしては海があったのではないかと筆者は推測している。

 

  • イギリス人は人々のあまり出会わない休息の場としての公園「パーク」を築いた。一方、イタリア人は人々の出会いの場としての公園「ピアッツァ」を築いた。日本では街路空間、オープンスペースを芸術的に作ろうという意図は生じなかった。また、街路について言えば、西欧では代々都市や街路は短期間に建設されるものであったのに対し、日本では村落や畦道の延長として都市や街路は自然発生的に生じたもので築くという意思が弱かった。

 

  • 西欧では庭は外的秩序の一部であり、他者の目に触れる。美しい庭を作るのはその意識の現れである。

 

  • イタリアの街の地図をよく見ると、建物の内部の空間が占める部分と街路などの建物外部の空間が占める部分を白黒反転させてみても不都合な感じはしない。街路や広場は建物の外壁の足元まで舗装されていて、建物との間に曖昧な空間がないからである。このことは両者の空間の質的類似性を示している。実際、床部分は舗装されていて、それらの境に塀があり、これらは内外共通である。違いは屋根の有無くらいである。

 

  • イタリアのような広場の成立条件は、境界線がはっきりしていて、かつそれが塀により築かれたものではなく建物の外壁により築かれたものであることがある。境界線がないと公園のようなものになってしまう。また建物の外壁には窓や出入口があり、相互陥入しているべきである。さもないと監獄の中庭のようになってしまう。このような広場で催し物があると、広場を囲う建物の窓から住民が顔を突き出してそれを見物する。この瞬間、広場はアリーナの様相を呈し、広場の外壁はアリーナの内壁となる。

 

  • 四辺の隅角が建物の外壁によって取り囲まれた入り隅みの空間であることが、質の高い閉鎖的な外部空間には必要である。これを意図的に作り出す方法として、サンクンガーデンという、建物の一部を道路より掘り下げて庭を作る方策が取られた。サンクンガーデンは同時に、上部から全体を見渡すことができるという特徴持つ。ニューヨークのロックフェラーセンターのビルなどに取り入れられている。

 

  • 近くにあること、すぐに手が届くことを意味するインメディアシーという言葉がある。都市の真ん中にある小さい公園や、トレヴィの泉なんかはこのインメディアシーがあると言われる。

 

  • 日本では袖看板が多く、街の外観を損ねている。それらは一時的なものに過ぎず、構造化されていないものが多い。この袖看板によって視界が遮蔽される割合は、建物を正面から見るほど小さい。だが、日本では建物を正面から見ることができるほどの道幅が確保されていないことが多く、建物の表面のインパクトは薄くならざるを得ない。

 

  • 人間の直立時の視角は俯角10度ほどのところにある。この角度で見られる景色として、函館港から函館湾を見下ろした時の景観がある。

 

  • 日本で彫刻家が不遇である理由の一つとして、外的空間の美化意識の低さが挙げられる。

 

  • 古くから建築物は、昼間に光のもと見るように設計されている。よってこれらは夜見てもただの石の塊であったりする場合が多い。夜景としての建築が本格的に考えられるようになったのは、ガラスの登場により建築の内部の光を透過光としてみられるようになってからである。

 

  • 南イタリアのチステルニーノ村は外壁が石灰で真っ白く塗られているな統一的な秩序があり、非常に美しい。同様な統一感ある白い家々はエーゲ海に浮かぶギリシアの島々などでも鑑賞することができる。特に圧巻なのはサントリーニ島のティラの街である。

 

  • ル・コルビュジェは図面の美しさを重視した一方でその図面が現実にどんな建物となるかにはあまり関心がなかったようである。実際、チャンディガールの計画都市設計の際も、自身はパリをあまり離れず、現場を目にする機会はわずかに年2回ほどであった。ピロティのような革新的建築もあった一方で、機能的な建築というよりは彫刻的、芸術的な建築もあったということである。